【書評】その絵画は炎上する(『恋する西洋美術史』 池上英洋)
最近、アートに興味が出てきたので読んでる。アートってなんかウケるので。
「恋」や「愛」にフォーカスした西洋美術の解説本。
恋が美術の世界でいかにして描かれてきたのかを教えてくれる。新書本なので楽に読めた。女体の描き方から作家個人の恋愛観(屑エピソードともいう)までざっくりと面白いところをつまみ食いできる。
いっつもtwitterで炎上してるような話(同性愛とか娼婦とか)についてもかなり書かれているので、「あれ?これ大丈夫?炎上しない?」って昔のヨーロッパが心配になる。
とくにウケたのがギュスターヴ・クルーべの≪世界の起源≫という作品。女性の下腹部がデカデカと描かれている作品である。ココには載せられないし、本にも載ってないのでぜひ自分で調べてほしい。当時の倫理観に合わせてもかなり炎上したらしい。
ただし、西洋美術を見るうえで、必然的に聖書やギリシャ神話に関する知識が必要になる。女性の裸体を描くには「いやこれビーナスだから!全然エッチじゃないから!!」という建前が必要な時代もあったらしい。そのためビーナスやほかの神を表すモチーフが描かれており、その辺のエピソードを知っているとより楽しめると思う。
自分は全然知らなかったので要勉強だ。
あと【書評】って書くと偉そうに見える。なんかほかにいい表現ないですか?
『ウマ娘』たちはなぜダンスするのか考えてたら天皇へ畏敬の念を抱いた
ついに「ウマ娘プリティーダービー」が配信された。
「ウマ娘プリティーダービー」その中でも「競走馬」を擬人化したソーシャルゲーム(ソシャゲ)である。名馬たちの魂を受け継ぐ「ウマ娘」たちを育て、レースに勝っていくゲームである。
しかし私は疑問を抱いた。レースに勝つと「ウマ娘」たちダンス『ウィニングライブ』が始まるのだ。なんの脈絡もなく。
なぜ「ウマ娘」たちは踊るのか?
その理由を競馬の歴史を振り返りながら考えていきたい。
世界最古の競馬
まずは競馬の誕生から見ていこう
ヨーロッパにおける古代競馬
馬を人間の手によって走らせ、競わせるということははるか昔より行われてきた。
馬の競争について最も古い記録を残しているのは古代ギリシャである。ホメロス(紀元前850~750年ごろ)が著した叙事詩「イリアス」にも競馬についての記録があることから、それ以前には競馬が成立していたことがわかる。
擬人化ソシャゲで(多分)もっとも成功した『艦これ』のモチーフとなった戦艦は、約1世紀ほどの歴史しかないことを考えると圧倒的である。
ただしイリアスに描かれたのは二頭の馬に戦車(チャリオット)を引かせる戦車競走であり、現在のような競馬ではない。
紀元前7世紀以前に成立した戦車競走はギリシャからローマの人々に受け継がれ、ローマ帝国の拡大によってヨーロッパ中に広がった。そして、3世紀の初めごろ、近代競馬の発祥となるイギリスへと伝わっていった。
その他地域における競馬
競馬はヨーロッパのみで行われていたわけではない。競馬は全世界で行われていたと考えられる。
騎馬民族に関する文書は残っておらず、はっきりとしたことはわからない。
遊牧騎馬民族は古くから存在しており、当然競馬のような遊びもやられていただろう。
例えば、モンゴルには過去に行われていたと思われる伝統的な競馬、「ナーダム」などが残っている。
競馬は世界共通の普遍的な行為だったのだ。
日本における競馬の出現
それでは舞台を日本に移そう。
日本に馬具が現れたのは古墳時代、4世紀のことである。このころ競馬が行われたかは定かではないが、似たような遊びは行われていたのではないかと考えられる。
さらに、記録上に馬の競争が出現したのは西暦701年。1300年も前のことである。5月5日、文武天皇臨席のもとで、群臣に走り馬を出させたことが『続日本紀』に記されている。
この時代の競馬は天皇の御前でやるものであり、天皇が臨席しないときには中止になることもあった。 *1
「競馬」と「ダンス」
9世紀前半には競馬は年中行事として確立されていた。新王や貴族は、多くの物品とともに馬を天皇に献上し、その馬を競わせた。
9世紀後期になると、京都周辺の寺社でも競馬が行われるようになる。競馬会神事が催される上賀茂神社、下鴨神社での競馬が行われたのもこの時期である。
この時代の競馬は今のような庶民の娯楽ではない。競馬は「神事」であり、天皇や神に上質な馬を奉納するための行事だったのだ。
カンの良い読者ならもうお気づきだろう。
なぜ「ウマ娘」たちはダンスを踊るのか。
古来より人々は「ダンス(舞)」によって神に感謝と願いを伝えてきた。彼女らは神々に「舞」を奉納していたのだ。
その証拠をお見せしよう。
寛平元年(889年)11月21日、競馬をともなって走馬と舞人を奉納したとの記述がある。*3
馬を奉納する際にも、「舞」が踊られていたのだ。
そう、「ウマ娘」が踊るのは不自然でも何でもない。彼女らは「馬」であり、「巫女」であったのだ。そして彼女らは神への感謝を示すためダンスを踊っているのだ。
アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』第3話ではトレセン学園生徒会長、シンボリルドルフがこのようなことを述べている。
「ウィニングライブをおろそかにすることは学園の恥」
無様なダンスを神に奉納することなどあってはならないのである。
誰がためのダンス
「ウマ娘」たちがダンスする理由は理解できただろう。
だがここで新たな疑問が生じる。
なぜ「ウマ娘」たちのダンスは伝統的な舞踊ではなく、近代的なダンスなのだろうか?
その答えを探っていく。
「神事」⇒ 「娯楽」
さらにもう一度、過去に目を向けよう。
10世紀前期までは、競馬は天皇ゆかりの場所や寺社で行われる、公的な行事であったことは先ほど説明した通りである。
これが10世紀中期になると変化が生じる。有力貴族たちが自らの邸宅で競馬を開催し始めたのだ。このころから公的な行事としてではなく、私的な、趣味として競馬が催されはじめたのだ。と同時、に競馬に「神事」としての意義は薄れ、「娯楽」としての側面が強くなる。
競馬は時の権力者や武芸者に愛される行楽として、脈々と続いていった。そして19世紀、近代競馬となるイギリス式の競馬が日本に上陸し、現代のかたちになっていく。このあたりの歴史は長くなるので割愛させてもらう。
ギャンブル無き世界
「ウマ娘」が競い合うレースは『トゥインクル・シリーズ』と呼ばれる。
そしてこの『トゥインクル・シリーズ』、ギャンブルが行われていないのである。あくまで健全な国民的娯楽として定着しているのだ。
ご存じの通り、現実の競馬界はギャンブルとともに発展してきた。
また、競馬場の整備、ダービーの開催、賞金、ウマ娘用の学園の運営etc...間違えなく多額の資金が必要となる。
運営側はギャンブルによる利益を得ていない。では大量のスポンサーがついているのだろうか。そうも考えにくい。レース風景をみても、彼女らの服はおろか背景にも企業が出資したと思えるロゴなどは映っていない。
長くなってしまったので要点を整理しよう。
では、以上を踏まえて
ウマ娘たちのダンスはなぜ近代的なのか?
に答えを出していく。
結論
「トゥインクルシリーズ」を行うには多額の金がかかる。しかし、あの世界ではギャンブルは行われていないが、運営資金に困っている描写もない。
その金はどこから来ているのか。
天皇である。
そう考えるとすべての辻褄が合うのだ。
つまり、
「ウマ娘」世界の競馬は天皇が多額の費用を投じ、趣味で行っている行楽である。そして「ウマ娘」たちは天皇を称え、ダンスを奉納しているのだ。
これが私の出した結論である。
だが誤解しないでほしい。
『トゥインクル・シリーズ』は天皇が私費を投じて開催しているが、それは私利私欲のためではない。
天皇は庶民への娯楽として、これを開いているのだろう。天皇はかつて神事であった競馬を広く庶民へ開放し、みなが楽しめる娯楽へと昇華したのだ。
近代的なダンスも、市民からの要望をうけ、より多くの人が楽しめるかたちへと変化した結果だと考えれば何ら不思議はない。
何という慈悲の心だろう。誰でも楽しめる娯楽を提供し、さらに「ウマ娘」たちの社会的地位の向上につながる。
みんなが幸せになる私的事業として『トゥインクル・シリーズ』は開かれていたのだ。
参考文献
この記事は
長塚 孝, 『日本の古式競馬 ~1300年の歴史をたどる~ 』(うまはくブックレット NO.4), 2002年
を参考にして書かれている。
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2021年2月 みんなに教えてあげたいボカロ曲
Adoさんの「うっせぇわ」が大バズりした今年。
ボカロに興味持ったって人にも、久々に聞きたいって人にも聞いてほしいボカロ曲をピックアップした。
投稿が2021年以降の楽曲のみである。
1. えどぴょん / 初音ミク 【神様うさぎ】
ノリノリ~~~~~~~~~~!!!!
和風テイストでアップテンポで韻踏みまくり。聞いていて気持ちいい。
なんとなく懐かしい気がするボーカロイド曲。なんで?
2. くらがりシティライフ 【電キ鯨】
聞く人を選ぶと思うけど俺が好き。
ゆるいMVとガチャガチャした曲調がクセになる。
ハッピーな躁鬱みたいなかんじ。
3. 深夜徘徊 / GUMI 【シャノン / Shannon】
【初投稿】 深夜徘徊 / シャノン (covered by 王梢狼/Wang Shaolang)
説明いる?要らなくない?
センスの塊。イヤホンつけて散歩に行きたくなる。
4. 籠女籠女 / VY1V4 【ANGL】
ロックが聞きたい方におすすめ。
ドラムがロック。ギターもロック。全部ロック。
サビの高音の伸び、好き。
あとSEKIROの水生のお凛、弾くの難しくないですか?
以上!!全部最高!!解散!!!
「死ね」を効果的に伝える6の方法
「死ね」、と思うときが誰しもあるだろう。私はコンビニバイト時代、来るやつ全員死ねと思ってた。
だが、「死ね」と思うだけでは何も変わらない。「思い」は「行動」に移してこそ意味があるのだ。
え?
そんなこと言ったら怒られる?
それは君のテクニックが足りないからだ。安心してほしい。これから君でも実践できる「死ね」の伝え方を教えよう。
1.まずは相手に「ノー」と言わせる
「ドア・イン・ザ・フェース」と呼ばれるセールス手法がある。
このテクニックは、まず常識はずれな要求をして、相手に断られることから始まる。それから、はるかに常識的な要求を行うことで、二度目の要求が通りやすくなるというものだ。
HUNTER×HUNTERでジンフリークスがやってたヤツである。
未読の人に説明すると、上は選挙のルールを決める場面だ。
ここではジンが『⑤選挙の最高責任者をジン・フリークスにする』という無茶を掲げて、『④投票者は名前を書く』というルールを通した。
社会心理学者のロバート・チャルディーニらが行ったこんな研究がある。
まず、被験者に非行少年の指導員になってくれないかと頼む。指導員になるには二年間、毎週二時間を費やさなければならない。
当然、被験者は全員断った。
次に被験者に、非行少年たちを一日だけ動物園に連れて行ってくれないか、と頼む。
さて、何%が「YES」と答えたか?
まず、最初のリクエスト(指導員になること)を尋ねず、二番目のリクエスト(動物園に連れていくこと)のみを尋ねたられた被験者たちを見てみよう。彼らのうち、17%が動物園に連れていくことを了承した。
では、最初に指導員になることを尋ねられ、それを断ったのち、動物園に連れていくことを尋ねたられた被験者たちはどうか。彼らの50%が動物園への引率に同意したのだ。
つまり、最初に「指導員になる」という無茶なリクエストを吹っ掛けることにより、単純計算で約3倍もリクエストが通りやすくなったのだ。
実践例:
「部長の一族郎党根、絶やしにしてもいいですか?」
「ダメに決まってるだろ」
「じゃあお前だけ死ね」
2.先んじて贈り物をしておく
賄賂はいつの時代も有効だ。「死ね」と伝えるときにも事前に贈り物をしておくといいだろう。
小さな贈り物や親切でも、相手にとっては借りができたような気になり、お返しをしたくなる。借りができた状態は居心地の悪いものであり、それを解消したくなるのだ。この感覚は普遍的で根深い。これを「返報性の原理」と呼ぶ。
死んでほしい相手に優しくする。矛盾しているようだが、重要なテクニックとなるだろう。
ただし、注意してほしいことが一つある。返報性は、誰かに良いことをされた時に生じる「感謝の気持ち」と「借りの気持ち」という二つの心理に影響される。そして、「借りの気持ち」はそれなりに継続するが、「感謝の気持ち」は30分しか継続しないといわれている。贈り物をしたあと、できるだけ早く「死ね」と伝えるようにしよう。
実践例:
「部長はきょう誕生日でしたよね。これ、地元の酒です」
「覚えていてくれたのか!ありがたく頂くよ」
「死ね」
3.相手を死に慣れさせる
あなたが好きになるのはどんな人だろうか?白馬の王子様か?交差点でぶつかった少女か?
答えは「身近なひと」だ。たいていの人は自分と同じ学校、職場などよく顔を合わせる人を好きになる。人はあるものに触れる機会が多いほど、それに好意的な印象を受ける。「ビビッドアーミー」をやっている人間は胸に手を当ててみてほしい。
これは「単純接触効果」と呼ばれ、よくわからん恋愛本で見たことがある人も多いだろう。
つまり、相手に「死ね」と伝えるならば、できるだけ相手に「死」を普段から意識させることが有効だろう。以下に例を示すので参考にしてほしい。
実践例:
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
「なんだ君、先週から。失礼だぞ」
「死ね」
4.相手のご機嫌をとる
これは『3.相手を死に慣れさせる』と表裏一体である。
昼間、上司にこっぴどく叱られて落ち込んでいるとする。とぼとぼ歩いて帰りながら、スーパーに寄りシリアルを買わなければならないことを思い出した。
シリアルの棚には、いつも買っている商品と新商品が置いてある。どちらが買うか?
こういうときにはいつも買っている商品に手が伸びやすいという研究結果がある。
悲しみや不安を感じているときには変化を忌避し、馴染みのあるものを選択する傾向にある。
逆に、これまでとは違ったものを選択しやすいのはどんなときか、もうおわかりだろう。幸せな気分のときに、馴染みの有無にこだわらず新たなものへ手を伸ばすのだ。
『死』は多くの人にとって未経験だ。『死』へいざなうのならば、相手をハッピーな気持ちにしておくべきだろう。
実践例:
「部長、今日のネクタイ似合ってますね」
「お、わかるかい?妻からもらったんだよ。ちょっと派手かなと思ったんだがどうかな?」
「死ね」
5.ストーリーの力を借りる
これは私の「ほしいものリスト」です。寄付してください。
買った?買ってないよね?なんで??
あなたは(おそらく)私のほしいものリストを買ってくれていない。
「見ず知らずの他人に金使うわけないだろ」
そんな声が聞こえてくる。
ここで私が悪かったのは何の前置きもなく頼んだからだ。頼みごとをするときには助走をつけなくてはならない。すなわちストーリーをつけるのだ。
「私は老いた母の面倒をみながら、夜遅くまで働いている。しかし、無理がたたって体を壊してしまった。ああ! 私のほしいものリストを置いておくから、助けてはくれないだろうか!
https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/3P89HZREUCB2J?ref_=wl_share
」
どうだろう?
陳腐なストーリーだがすこし心が動かされないだろうか。
何かを伝えたいとき、ストーリーが最良の情報伝達手段だ。
ストーリーの力を示すのに、ロンドン大学の神経研究所のタニア・シンガーが行った研究がある。
まず、被験者が痛みを感じているときに脳のどの部分が活性化しているかを調べた。その結果、「痛みの程度」と「痛みの発生個所」を処理している部分がいくつかあることが分かった。これとは別に、痛みによって生じる「つらさ」や「不快感」といった、感情面での情報を処理している部分があることもわかった。
次に、登場人物が痛みを感じるような物語を被験者に読んでもらう。すると、「痛みの程度」と「痛みの発生個所」を処理している部分は活性化しなかったが、痛みに関する「つらさ」や「不快感」を処理している部分は活性化した。
つまり人間は、痛みに関するストーリーを聞くと、ストーリーの中の痛みをまるで自分が感じたかのように体感できるのだ。同様に、他者の喜びや悲しみ、戸惑い様々な感情も、少なくとも一部は文字通り「体験」するのだ。
ストーリーの力は強力だ。この力を使わない手はないだろう。
具体的にはどうするか。相手に「いっちょ死んでみるか!」と思わせるストーリーを刷り込む必要がある。もっと言えば、「自分は死ぬべき人間だ!」と相手に思わせれば完璧だろう。
実践例:
「昨日試しに死んでみたんですけど、すごく楽しかったですよ」
「なに寝ぼけたこと言ってるんだ」
「死ね」
6.あきらめずに何度も頼む
誰かに頼みごとをされたときのことを思い出してほしい。
了承したにせよ断ったにせよ、大きなプレッシャーを感じたはずだ。
さらに、その頼みを断るとすればどうだろうか。ある程度の良識がある人ならば、断るときには「助けてあげることができなかった」という罪悪感を感じるだろう。
それでは、一度ある頼みごとを断られた相手に、もう一度頼みごとしてみよう。その成功確率はどうなるだろうか。
答えは、「成功確率が上がる」だ。
相手がこちらの頼みに「イエス」と答えてくれる割合は、一度目よりも二度目のほうが高くなるのだ。
一度目の頼みを断ったことによって罪悪感を覚えたことで、二度続けてそんな気持ちを味わいたくないと考えるのだ。
一度の失敗であきらめてしまうのはもったいない。もう一度チャレンジしてみてからでも、あきらめるのは遅くないだろう。
実践例:
「くたばれ」
「そんなこと上司に言っていいと思ってるのか!」
「死ね」
以上が「死ね」を効果的に伝える6つの方法だ。
ここまで説明してきたが、まだ最後の覚悟が決まらない人もいるかもしれない。
人に頼みごとをするのは気が重いだろう。その気持ちはとてもよくわかる。死んでほしい奴に「死ね」と言っても、死んでくれないのではないか?そんな不安な方に嬉しい知らせだ。
コーネル大学によるこんな研究がある。
14000人以上の見知らぬ人にさまざまな頼みごとをした複数の研究を分析すると、人は頼みごとの成功率を平均で48%も低く見積もることが分かった。
私たちが思っている2倍は、頼みごとが成功する確率が高いのだ。
さあ、以上が「死ね」を効果的に伝える6の方法だ。むろん上手くいく保証はない。しかしこれらのテクニックを使うことで、あなたの「死ね」はもっとずっと魅力的になっているだろう。
参考文献
参考にした本たち
終わりに
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念のため